第3話 1970年代の省エネルギー技術

丁度同じころ、1970年代の石油危機を契機として開発されはじめていた省エネルギー技術のひとつとして、小泉尚夫氏(当時東芝総合研究所勤務)が東芝住宅産業(株)からの依頼で開発していたソーラーハウスがあった。
このソーラーハウスは鉄骨プレハブ構造で空気集熱式のシステムが標準化されていた。屋根一体型の空気集熱器を備え、暖房は温風を天井から吹き出して行い、夜間や曇りの日のために床下の砕石蓄熱装置に昼間蓄熱させた。冬季はヒートポンプを補助熱源とした。また夏季には深夜の冷えた外気を取り込んだり、深夜電力でエアコンを動かしたりして砕石に蓄冷させ、その冷気を取り出すこともできるシステムだった。また熱交換器を使った給湯も行ったものだった。

(新太陽エネルギー利用ハンドブック/日本太陽エネルギー学会 より引用)

 1979年に小泉氏はまず自邸を実証住宅として建て、ソーラーシステムの性能を確認し、その後東芝住宅産業(株)が88年までの5年間に450棟のソーラーハウスを建設したが、88年に住宅事業から撤退。中断された新規ソーラーシステムの研究開発事業は小泉さんが退職後設立した東洋ソーラーシステム研究所で引き継いでいる。
*1983年「建築文化4月号」にはパッシブソーラー(建築デザイン変革のひとつのキーワードとして)の特集として、ヴィンセント・スカーリーがアメリカ太陽エネルギー学会・第5回パッシブ・ソーラー会議で講演した「ソーラー・アーキテクチュアの建築的意味 パッシブソーラーとヴァナキュラー」の記録とエネルギー・コンシャス・デザインの例が掲載されている。
また、日本では省エネというと純粋に技術的な問題として処理される傾向が強いが、本来は技術の範疇にとどまるものではないことを小玉祐一郎氏が指摘している。日本の設計例として、床蓄熱型住宅、温室型住宅、空気式コレクターを備える住宅計画、風窓の家、サンルームを付加した改造、空気循環式ソーラーハウス、直接循環型ソーラーハウス、密集地のハイブリッドソーラーハウス等々が紹介されている。

*1984年「建築文化2月号」には、パッシブ・ソーラー5題として以下の建物が紹介されている。

「太田の家」
(設計・小玉祐一郎他)
ダイレクトゲイン床蓄熱
植物による日射遮蔽ほか
「赤堤の家」
(設計・木曽三岳奥村設計所/丸谷博男)
ダイレクトゲイン床蓄熱 床下通風
空気循環式煙道採熱床暖房方式
「砕石塔・砕石槽をもった家<ショチピリ>」
(設計・加藤義夫アトリエ他)
アクティブソーラーシステムの熱を砕石塔と砕石槽を利用して循環
「単純エアフローサイクルのダンススクール」
(設計・加藤義夫アトリエ他)
ダイレクトゲイン蓄熱壁 人体熱 ボイドスラブを利用した床下熱循環 平板ソーラーコレクター
「分離型パッシブシステムの診療所住宅」
(設計・加藤義夫アトリエ他)
平板ソーラーコレクター 屋根裏温室 トロンブ壁
砕石蓄熱槽 通風塔