第6話 “お蚕さん”が桧舞台へ

それが、1987年に奥村先生から「OMソーラー協会というのができてね。 友さん、ハンドリングつくるよね?」と言われたことから、販売するハンドリングボックスとして「お蚕さん」が初代となった。

販売といってもひと月に数台といった感じで、寸法の決定、鉄板の切断から組み立て、断熱材の接着、ダンボール箱への梱包、送り状を書くことまで、すべてを一人でやった。

作業に夢中になり時間を忘れ、会社(三八工業)に泊まったりということもしばしばだった。

OMソーラーは、東芝住宅産業(株)が開発したソーラーハウスから撤退する1988年に入れ替わるように登場したことになる。

最初の制御盤は、鈴木康司(当時技術担当)さんが知り合いの電気屋さんにつくらせたと記憶している。

市販の電気ボックスの中に温度スイッチ部品を入れたもので、設定温度になったらスイッチが入るだけだった。

調整とか制御という概念はまだなかった。つまり、コタツと同じである。

温度になるとファンが回ってダンパーが引っ張られて開き、ファンが止まればダンパーが閉じるという仕組みの重力ダンパーを使用しており、ファンのON,OFFだけで単純なものだった。

最初の制御盤
最初の制御盤 通常仕様 融雪仕様