第5話 マイクロエアハンから”お蚕さん”へ
奥村先生を中心にして1981年からはじまっていた「ソーラー研」に、ぼくもごくごく自然に加わった。
「ソーラー研」は建築家や研究者が集まって、太陽熱や自然エネルギーの利用など、それぞれが意見を出し、みなでワイワイと楽しく話し合うものだった。
ここでの話の中から、ぼくがハンドリングボックスの原型をつくることになった。
そのころ空調機器といえば、エアーハンドリングボックス=エアハンのことで、2m角ぐらいあるのが普通だった。
ハンドリングには、持つ以外に運ぶ(搬送する、送り出す)という意味がある。
ぼくがつくったのは「マイクロエアハン」で小型のもの。ファンは一般家庭で使われる換気扇で十分で、50Wの消費電力でいいだろうということで、プロペラファンになった。

最初にこの「マイクロエアハン」を見た建築家・石田信男さんは、目の前に置いてあるのに、それと気づかなかった。

なぜなら彼は設備屋の巨大なエアハンをイメージしていたからだ。彼のアドバイスで3,4台試作して誕生したのが「お蚕さん」と呼ばれているハンドリングボックスで、これが後のOMソーラーシステムのハンドリングボックスの原型である。(1986年)
まだ、このシステムを販売するという話は出てこなかった。 僕も、ひとまずは「俺はハンドリングつくったよ!」ということで、ソーラー研のメンバーの一人としてやることをやったよということだけしか考えずに、このハンドリングが売れようと売れまいと関係がなかった。もし、売れなきゃ俺が売るわ、という感覚だった。
当時は、ソーラー研の建築家たちが、蓄熱や、屋根を二重にすることや、ダンパーをつけることなどを含めて、あんな面倒なこと誰もしやしないよというぐらいのノリだった。

ソーラー研の人たちが面白がってやっているのであって、普及を図るなんてことには関心がなかった。

 


お蚕さん