第1話 ことのはじまり
三八工業でサラリーマンをしていた1981年、暖炉をつくれたら楽しいんじゃないかと思い、本屋で参考になる本を探していて、「暖炉廻りの詳細」という本を見つけた。 誰が書いているのかと見ると、奥村昭雄=東京美術学校卒で芸大教授、吉村順三設計事務所に勤務していたとあった。 その時、奥村昭雄は知らなかったが、吉村順三設計事務所については関わりがあった。 かつて東京シェルパックという会社で灯油を使ったセントラルヒーティングの販売や工事、灯油のデリバリー、メンテナンスをしていた昭和30年代の終わりごろのことだ。 そのころは、日本経済がようやく復興し始めたところで、セントラルヒーティングは先進的でしゃれた気がしていた。 東京シェルパックの技術顧問の建築家・清家清氏からセントラルヒーティングとはどういうものかを習った。 当時セントラルヒーティングの家はものすごくお金がかかるもので、吉村順三氏、坂倉準三氏などのお金持ちの家を設計するような設計事務所が営業のターゲットだった。 新日鉄の副社長の家、三菱銀行の副頭取の家、角川書店の親父さんの家とかの豪邸が設計されていたのを覚えている。   奥村昭雄の暖炉の本と出会ったころ、東京シェルパック時代に吉村設計事務所担当をしていた同僚に、奥村昭雄を紹介してよと頼んでみた。 その人いわく、「奥村昭雄は知らないけれど、奥村まこと(奥村先生の奥様。先生と同じく吉村設計事務所に勤務していた)なら知ってるよ」ということで、奥村まことさんを紹介してもらい、木曽三岳奥村設計所を訪ねることになった。   事務所を訪ねると奥村まことさんだけでなく奥村先生もいた。 初対面の奥村先生の印象は「よれよれのセーター着て、さえないかっこした先生だな」だった。   奥村先生に、暖炉をつくりたいので教えてほしいというような話をしたが、逆に先生から「あんた何しているの?」と質問された。 薄い鉄板を曲げたり、折ったりする町工場での仕事の話をしたら、先生は興味を持たれた。 厚い鋼材を使う建築の世界にはない話だったからだ。 この出会いがきっかけとなり、それから半年ぐらいして仕事の話がきた。